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 立久恵隧道改修工事予定に  Danny★鷹  2008年3月13日(木) 20:01  HP
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まだ内部情報ですが、国道184号の「立久恵隧道」が近いうちに改修工事する計画が出てきたそうです。
元々岩山を掘った素掘りを後年に拡張してコンクリート張りにしたもので、調査によると経年でコンクリートがいつ崩落してもおかしくない状況だそうです。
ただ改修工事をするには通行止めになり、一方通行区間の上り線を使った終日交互通行が長期にわたるため、簡単には着工できないようです。

余談ですが、隧道とトンネルの違いを建設業者から聞きました。
何でも、片側から掘っていくと隧道になり、両側から掘り進んだのがトンネルと呼ぶのだそうです。

   taihei  2008年3月13日(木) 21:19 [修正]
情報ありがとうございます。

立久恵隧道は結構古いものだったのですね。
いわれてみればコンクリートに描かれた模様も昭和初期に多いものです。
内部の固練りコンクリートのブロックも昭和初期から戦後しばらくの間までの竣工トンネルに多いですし。

扁額に昭和30年2月竣工とあるのが改修された年なのでしょうか。

それにしても50年以上前の話です。老朽化が進んでいるものと思います。
急峻な地形と景勝地を走ることから,区間全体の拡幅も難しいでしょう。
なるだけ,工事期間を短くする工法を検討中。といったところでしょうか。

 立久恵隧道の流れ  Danny★鷹  2008年3月16日(日) 7:23  HP [修正]
「立久恵隧道」は1913年(大正2年)郡道(簸川郡)として開通。
のちに昭和の戦後、主要地方道出雲三次線に昇格。
1993年(平成5年)4月、国道184号に昇格。
地形的に「立久恵隧道」近辺の幅員は郡道開通時とほとんど変わっていない。
コンクリートブロック工改修工事が1955年(昭和30年)2月竣工。
その後、佐田町側出口山側が崩落防止工事で補強されている。

内部情報によると、素掘りの面とコンクリートブロックの間に空洞があり、経年の水の浸食で薄くなり、叩けば崩落する状態の個所が多数みられるという。

   taihei  2008年3月16日(日) 14:24 [修正]
立ち久恵隧道の歴史についてありがとうございます。

大正初年に作られたものだったのですね。立久恵隧道のページに追加修正させていただきました。ありがとうございます。

>素掘りの面とコンクリートブロックの間に空洞
在来工法のトンネルの老朽化の危険性として最も懸念される状態なのですね。通常はモルタルを充填したりするそうですが,コンクリートブロックも老朽化していることと思いますし,交通量も少なくないですから抜本的な対策が必要ですね。

 大阪府トンネルリストについて  yoshirin  2008年3月12日(水) 19:39  Mail
[修正]
taiheiさま
あい変わらずの、行動範囲の広さに感心しております。また、細かいことで悪いのですが、大阪府トンネルリストの廃道の欄に載せられている、
『千早隧道』は正式には、『千早洞(ちはやぼら)』と言いますので、修正されることをお勧めします。

   taihei  2008年3月13日(木) 21:04 [修正]
ありがとうございます
修正させていただきました。

 りんく  福岡の自転車のり  2008年3月7日(金) 13:50  Mail
[修正]
>taiheiさま
新着情報の楠戸トンネルのリンクが about:blanc になっているようですが。

   taihei  2008年3月7日(金) 20:57 [修正]
うぃー。酔いたんぼうで更新するとろくなことにならないという証拠になりました。

修正済みです。どうもです。

 清流線、20周年で新2両、きのうは5円!!  KAくん  2008年2月24日(日) 6:24
[修正]
昨日は、錦川清流線が岩日線から第3セクターになって20周年で、きのうから、新しい2両が登場し、
1つは、はでな紫
もう1両は、緑です。
それを記念して、昨日だけ
川西と錦町の間は、どこでも
なんと、御縁があるように
5円で、
記念証も発行されるというので、萩三隅を往復したあと、
大急ぎで帰って、錦町まで清流線で往復しました。
錦町は大雪でした。
できたばかりの紫のはでな車両に(ひだまり号、NT3002)のり、新車のにおいがしました。
途中で、新しい緑の車両(こもれび号、NT3003?)とすれちがいました。

錦町駅には、水色の車両(NT3001)もいました。

きのうは、萩三隅の開通で、認定書をもらい
清流線の新車両で、記念乗車券ももらいました。



 追加  KAくん  2008年2月24日(日) 6:27 [修正]
中は、木が使ってあり、ジュースが2本おける台も、木でおりたたみ式でした。

 雪がつもった  KAくん  2008年2月24日(日) 6:52 [修正]
陽だまり号、NT3002

 こもれび号の  KAくん  2008年2月24日(日) 21:02 [修正]
写真をとりました。

 錦川清流線  taihei  2008年2月24日(日) 23:42 [修正]
国鉄からの転換第三セクター線はどこも経営が厳しいようですが,
がんばってますね。新車の導入ですか。
ひだまり号が桜でこもれび号がかわせみのペイントですね。

清流線は眺める川の水の綺麗さでは全国トップクラスのローカル線だと思ってますので,お客が増えてほしいものです。

 錦川清流線のトンネルの不思議  KAくん  2008年2月25日(月) 5:45 [修正]
錦川清流線に乗っていて思ったのですが
北河内駅より北は、駅の近くは民家がありますが
あとは、R187沿いは、開けているものの
清流線側は、駅と駅の間に細い道路さえなく、家もないのに
急斜面にたくさんのトンネルがあります。
岩日線をつくるとき、いったい、どうやって
線路の基礎をつくり、線路をひき
あれだけのトンネルを掘ったのか
とても不思議です。

taiheiさん、トンネルファンのみなさん、どう思いますか? 

   なるなる  2008年2月28日(木) 3:40 [修正]
> 錦川鉄道
まあ、他の鉄道もですが、昔に建設されたものは「人海戦術」なのでしょう。
建設機材の整った現在でも10年以上かかるような工事が、
昔は2、3年ぐらいの短期間でできていたり…
(用地買収等に手間取らなかった、という理由もあるのかもしれませんが。)

 油須原隧道  チョメ  2008年1月29日(火) 23:41  HP
[修正]
こんにちは。
油須原隧道、写真よく見つけましたね。
おそらくこの場所だとは思ってましたけど、
痕跡がなかったので、ずーっとモヤモヤ。
おかげですっきりしました。

   taihei  2008年1月30日(水) 22:44 [修正]
旧椿隧道について調べるついでに周辺の市町村史を漁っていて見つけました。

しかし,旧椿に関する資料や記述は見つかりませんね。
門司市史にも桜,石塚については少しだけ記載がありましたが,椿に関しては改修された分も含めてなにもわかりませんでした。

 椿情報  てっく  2008年1月31日(木) 11:58  HP [修正]
旧椿は北九州市に問い合わせしましたら、やはり昭和13年竣工で記録が残っていたそうです。
但し大正12年の地図には既に記載がありますのでやはり
昭和13年は現道上り側かと。
ちなみに明治33年版には何もありませんでした。

↓北九州市様から昨日頂いたトンネル台帳記載のスペック。
[延長81m、幅員3.4m 昭和13年竣工 平成13年廃道]

延長、幅員はおそらく我々が平成13年に実測したもので、間違いがないと思います。
当時は記載すら無かった気がします。
しかも我々が点検した年に廃道になっているとは…
僕のせい…?(^_^;)

 椿情報  taihei  2008年2月4日(月) 7:04 [修正]
データありがとうございます。
修正させていただきました。

しかし,相変わらず出処不明であることには変わりないですね。
建設当時の記録が見つからないだけでなく,

・扁額がない。(周辺の同時期と思われる隧道にはすべてある。)
・昭和13年には新隧道が建設されている。
・前後の路盤が完全になくなっている。(入口に段差が出来ている。)

など,よくわからないことだらけです。

 あまり参考にならないかもしれませんが(椿情報)  seamoon  2008年2月11日(月) 2:00  HP Mail [修正]
はじめまして。本日、旧椿隧道に行ってきました。
角川書店の「日本地名大辞典」の黒川及び柄杓田の項には大正11年開通の記述があります(郷土史家の今村元市氏による記述)。
また郷土史家の中山主膳氏の「郷土門司の歴史」の巻末年表も大正11年になっています(昭和13年の新椿トンネルの開通に併せて書かれています)。
もしかすると私家版として存在する「黒川村誌」に記述があるかもしれないので、時間があるときに調べてみます。

   taihei  2008年2月11日(月) 13:57 [修正]
seamoonさんはじめまして。

大正11年ですか。仲哀(改修),金辺,櫨ヶ峠あたりの竣工より少し前,仲哀隧道の改修が始まった頃ですね。時期的にも納得できるものです。
参考になりました。ありがとうございます。

複数の郷土史家の方が記述されているということはどこかに一次資料があるのかもしれません。
時間が取れれば私もまた北九州市立図書館に行ってみたいです。

 seamoonさんありがとうございます  てっく  2008年2月11日(月) 14:23  HP [修正]
だんだんと情報がそろって来ましたね。改めてネットの力の凄さを感じます。
しかし供用期間が20年いってないとは…

ちなみに隧道の中だけ路盤が妙に新しいのが気になり、チョメさんの
探検隊ガレージにお邪魔した時に話題にしたのですが、
「下の椿トンネルに何かしらの変状が現れてしまい、それで上部の補強を
したのでは」
という仮設が出ました。
後日某大手ゼネコンの技師の方に「トンネル上部の地中に空間があった場合、異常変圧が発生するか?」と聞いたのですが、
「ちょっとそういった事例は知らないなあ」とのことでした。


 「黒川村誌」を調べてきました  seamoon  2008年2月24日(日) 11:44  HP Mail [修正]
昨日門司港に立ち寄ったので、門司図書館で「黒川村誌」を調べてきました。
年譜には、
「大正十一年壬戌(1922年)
 この年黒川・柄杓田間旧椿トンネル開通。」
とありました。ただ開通した日は不明です。
「門司新報」には何かしらの記事があるかもしれないので、見る機会があれば大正11年の記事を調べてみたいと思います。

 旧椿トンネル  taihei  2008年2月24日(日) 20:51 [修正]
ありがとうございます。

大正11年竣工で間違いなさそうですね。
しかし,昭和13年(石塚トンネルと同じ)に新しいトンネルが建設されたということですが,やはり軍事的な意味合いがあったのか,あるいは関門国道トンネルの着手と同時期であることから関連があるのか。興味深いところです。

 目的は…  てっく  2008年2月25日(月) 23:26  HP [修正]
大正・昭和初期の地図を入手していろいろ考えているんですが、
旧椿開通後もしばらく石塚峠は山越えルートになっていて、
しかも短期間に二つのルートが切り替わっています。
後半ルートは以前僕が通った獣道だと思うのですが、車はちょっと厳しいか。
やはり、軍事面での目的が主でしょうか。
南部の曽根地区の埋め立てが盛んになったのも地図から大正中期〜昭和初期とわかります。
ちなみに曽根の曽根飛行場(北九州空港)建設が昭和19年。さらに南部の
築城飛行場は昭和17年。
新門司港整備はもっと後?

いったん、自分のページでもまとめてしまおうと考えているんですが、
まとめようが無くて困ってます(^_^;)

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