瑞巌寺隧道 ずいがんじ 一般県道下恵良九重線
大分県玖珠郡九重町
延長 18.0m  
幅員 3.00m  
竣工  - 年  

分県九重町の県道下恵良九重線に昭和54年まで瑞巌寺隧道という素掘りの小さな隧道があった。
玖珠川の支流松木川にせり出していた岩山を穿つ隧道で,その前身は江戸時代安政5(1855)年に竣工したというさらに小さな隧道である。

ここへは,○○探検隊のチョメさんらとの合同探索で訪れ,地元の方に親切にお話をうかがえたほか,貴重な現役時代の写真まで見せていただくことができ有意義なものとなった。当初はおそらく車両の通行を許さないような小さな隧道であったと思われるのだが,大正から昭和初期ぐらいと思われる時期に拡幅工事を受けていた。

しかし車両の大型化に対応はできなくなり,また,道路がカーブする地点にあり,見通しも非常に悪かったため,昭和54年には開削撤去されている。

右の写真に自動車が写っているが,離合が不可能なだけでなく高さも明らかに不足していることが確認できる。

現地は,重機によって削り取られた岩に残る爪あとも痛々しい凝灰岩質のもろい岩壁が現県道沿いに続いている。

この隧道跡地は,山を削った跡地が県道敷きと畑になっており,きれいさっぱり何もなくなっているとはいうものの,旧隧道が存在した当時から岩壁に埋め込まれていた「新貫道御助合」すなわち工事費用の寄付者の村名や氏名を記した石版が残っている。

近所の方のお話を伺ううちに見せていただいた開削前の写真にもしっかりと写っている。
石版には「両」や「疋」という単位がはっきりと記されているため,現地でも起源は江戸隧道ではないかと思っていたのだが,調べてみると,安政5年という竣工年も石版の中に記載されているようだ。まちがいなく江戸時代竣工の隧道であるらしい。

▼安政5年の石版
▼寄付金の額が刻まれている。

開削工事の前には,文化財として残すべきものではないかという慎重意見もあって調査も行われたようだが,一度拡幅工事を受けていることから最終的には開削されることとなったそうである。工事に当たっては,近くにある瑞巌寺磨崖仏への影響を考慮して発破でなく,機械掘削が選択された。

隧道ができる前は,急な岩山の上を通る狭い切通し又は岩壁をへつる鎖場を通るしかなく,鎖場では事故も多かったと伝えられているそうだ。

また,昭和57年に開削工事を受けた際の小さな記念碑も岩壁に埋め込まれて残されている。
「瑞巌寺隧道取壊記念」とあり県費2,000万円と地元(財産区)負担400万円の経費がかかったとある。隧道の取り壊しの際にこのような記念石版を設けている例は多くない。

▼岩はもろい凝灰岩である
▼取壊記念の石版

つづいて,隧道建設以前にあったという山越えの道を廻ってみる。民家の間を通って裏山の墓地へと登っていく小道の先,墓地の裏手に立派な切通が残っている。
幅は,1間,長さは3間もないだろう深さ2間はあろうかという狭い切通である。切通は,岩の斜面を切って作られた古道へつづく。古道の傾斜もかなりきついもので最後は,県道改修のためであろうぷっつりと途切れている。

しかし,牛1頭を通すことも困難ではなかったかと思われる狭く急傾斜な古道が残っていることには感動を覚えた。

▼切通
▼切通のから振り返る(右が切り取られた壁)
▼左に削られた壁が見える
▼瑞巌寺磨崖仏
船ヶ迫隧道 岩室(御経塚)隧道
位置 参考:喪われた道の物語 第3回 (日本の廃道第14号) 
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