三田尻(現防府駅)から,津和野を目指して建設された防石鉄道。大正3年12月20日に起工式を行い,下和字地区の隧道建設を皮切りに,米価の暴落による農村疲弊,逆に第一次世界大戦によるインフレによる物価高騰など,困難が続いたうえ,国鉄が陰陽連絡線として山口線を建設することとなったため,途中の堀地区までは開業にこぎつけたが,モータリゼーションの波には打ち勝てず,昭和39年に全線廃止されている。
その廃線敷きは,防府市,徳地町へ無償譲渡され,道路として利用されていた。地元の方に聞くと比較的若い方(といっても50代か)でも隧道の存在を知っておられたので,鉄道廃止後も相当の期間道路隧道として存在したものと思われる。
現在は,道路があまりに綺麗に改修されているため,地元の方に聞いて回らなければその存在箇所すらまったく想像もつかない。
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