松ヶ峠隧道 まつがたお 旧県道西城東城線
広島県庄原市
延長 75.6m  
幅員 - m  
竣工 1884年  
「トンネル?もう30年,それ以上かも知れんねぇ。トンネルはあったよ。そう,峠。その先の峠に。」

「トンネルの中は材木で支えとった。いまならコンクリで作るんでしょうがの。暗うて,天井から水が落ちてきとってのう。いまは,跡ものこっとらんでしょうが。」
「昔は,(備後)八幡の駅まで,トンネルを通って出たもんじゃ。トンネルの向こうは,田んぼをよけて山添いを通っとったんじゃが,細うて,ドロドロでのぅ。そこを,八幡の駅まで歩いてでよったんよ。車とかなかったしのう。そのころに比べたらこがぁにええ道ができて。」

田仕事の手を休めておばあさんは語った。
近世には,中国山地の鉄や農産物の集積地として栄えた東城の町は,明治になりそれまでの舟運や牛馬人力による物資の輸送には限界があったため,福山方面その他への車道開鑿が急がれた。

明治15-17年には広島県内の県道改修費の多くが奴可郡(比婆郡の一部)に割かれるなど,県道の改修が急ピッチで進むとともに,東城と西城を結ぶ県道についても,地元有力者的川庄右衛門らの奔走などにより,明治15年から16年にかけて大規模な改修が行われた。
「川鳥村松ヶ峠に隧道を穿つこと1ケ所,長さ四拾弐間とし其前後に在る山脚切割の数拾四ケ所此の延長間数五百五拾弐間五尺なり。」

「開道後日尚浅きも日々人力車の通行を見さるなく,且つ沿村の人民荷車十余両を購求せしを目撃す。」

「開道の式を挙行するや沿道又は近村の人民は種々の賑ひ物を荷車数拾両に装填し,松ヶ峠隧道の西入口に新設したる祝場にきん集す」(東城町史)




今は往時の面影もなく,切通とそこに植えられた花だけが在りし日をしのぶかのように静かにたたずんでいる。

すでに県道も別の峠へ移ってしまった。






情報提供:学生服のヤマダさん
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位置  
高速自動車国道 一般国道 都道府県道 市町村道その他 廃隧道 建設中