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最後に美東町史(1974年美東町教育委員会編)にあったこの隧道の記述を引用して終えたいと思います。
「真名村から小郡に通じる道で,昔からあった街道に仏坂というところがあり,この地は近郷無類の難所であり,明治の初めころまで,美禰郡にある米倉から小郡東津にある米倉に年貢を運ぶときなど,人馬とともに困苦もはなはだしく,雪道の場合など,馬を損失するなど悲嘆な状態が続いた。これを見るに忍びず,字宗国の住民たちは明治13年旧暦1月発起し,同14年8月協議の上,各郡村有志の寄付金を目的とし,私費を以て改築に取掛り,同16年8月に完成するまで24か月の星霜を経て,同年10月落成棟上開通式を仏坂にて行った。開鑿は長さ四十四米あり,百五十四平方米を開鑿したものである。これにより人馬の往来が容易となった。しかしながら当時としてニ八三六円余の経費を要し発起した人たちは予想外の難工事に入費がかさみ,弁償することができず,発起者は田畑山林を売却するとか,あるいは公債証を売り渡すまでして悲惨なる状態であった。そうまでしてこの工事を完成した労苦には感嘆の外なく,当時の道路改修工事の苦心を偲ぶ一話である。」
と,彼らも語っていました。
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