サイト開設1周年記念事業として,宇部興産専用道路の特集ページを作ってから,道路踏み切りの取材を追加するなどして,興産道路を走りたい!走りたい!走りたいっーーーー!!!といってきたせいなのか,この度,宇部小野田美祢産業観光推進協議会が企画したCSRツーリズムの産業観光モニターツアーによって長年の夢(子供の頃から)であった興産道路通行がかなうこととなった。 CSRツーリズムについては,宇部小野田美祢産業観光推進協議会のサイトをご覧になっていただきたいが,「企業の社会貢献」と「観光振興」を組み合わせたものというのが,私の単純な理解である。 このモニターツアーは8つのコースで2007年11月に行われ,そのうち「秋吉石灰岩コンビナートを巡る」コースに宇部興産道路を通るルートが組み込まれている。 道路のことだけなら,写真と動画で1ページほど追加すればことが済むのだが,せっかく貴重で有意義な体験をさせていただいたので,ツアーの各見学箇所についても体験談として,まとめてみようと思う。 ※2日間のツアーであったのだが,初日については仕事の関係で急遽キャンセルせざるを得なかったため,2日目からの参加となった。 |
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宇部空港 → 小野田パークホテル → 厚狭駅 → 宇部興産伊佐セメント工場 |
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山口宇部空港から,パーク・イン山陽小野田,厚狭駅を経由して向かうのは,美祢市にある宇部興産の伊佐セメント工場。バスに同乗して解説していただく,産業観光エスコーターは宇部興産セメント事業部のOB二名。 まずはバスの中で宇部の略史のレクチャーを受ける。 明治初年に福井忠次郎が宇部の石炭鉱区を村民らから騙して買い占めたため,権利を買い戻すため福原芳山が奔走したこと,そういった経験から共同義会や達聰会などが設立され「共存同栄」(共存共栄ではないことに注目)がその後宇部産業界のスローガンとなり,現在でもその精神は引き継がれていること。 また,渡辺祐策という人物が「石炭は掘ってしまえばいつかはなくなってしまう。石炭採掘以外の産業振興も積極的に自らの手で行なっていくべきである」との高い先見性から,工業や産業インフラを整備してきたため,炭鉱閉鎖後も人口の落ち込みもなく,工業都市として発展していること。 など宇部の産業史だけでなく,それに付随する精神や思想などを含めた非常に興味深い説明をいただきながら,国道316号を伊佐セメント工場へむかう。国道が開通したことによってそれまでは船木から美祢へ走るほかなかった,伊佐セメント工場への通勤が非常に便利になったという。 伊佐セメント工場である。まずは,ビデオで概要説明を受けた後バスで内部を見学する。 |
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直径6mもあるロータリーキルンで,焼成する。大きな鉄パイプのような形の釜がぐるぐる回転しながら,その中で燃料と原料を混ぜて1400度の高温で焼いていく。 これは,宇部からトレーラーではるばる運んできたものだという。宇部興産道路の途中にあるトンネルは高さ6m(一般道路は4.5m)あるため,分解せずに通過が可能であったそうだ。写真右から原料と燃料を入れて回しながら燃やし,左へと送っていく。その結果できるのが「クリンカー」と呼ばれるセメントの半製品である。 |
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