旧畳ヶ浦隧道(旧道)訪問記その1 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7
明治5年3月14日。浜田地方をM7.1の大地震が襲った。震源域が浅く,陸域に近かったため被害は甚大で,死者555名を出す大災害となった。
畳ヶ浦は(千畳敷)はその時に隆起してできた約6haの隆起海床で,化石の宝庫であるとともに,地質的にもいろいろと貴重なものらしい。
畳ヶ浦は,垂直に切り立った海食崖の向こう側にあるため,観光に向かうには,昭和61年に建設された人道トンネルをくぐっていかねばならない。
その隧道の脇,崖の直下にわずかに人が通れるような,通れないような,遊歩道の痕跡であるようなないような,いわば犬走風の岩棚と言っていいくらいの旧道の痕跡が残っている。
50mほどは,外側に新たにつけられた漁港用の車道とフェンスで隔てられているが,それが途切れると,見るからに旧道だよー。といった感じに変わる。
これは,上の写真に写っている高い岩に設けられた防波堤へ渡る橋。左に新しい橋が写っていることからも分かるように,これも旧道。でも,畳ヶ浦への旧道ではない。
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