絵ノ島探索記(小那沙美島) その7 | その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 企画TOPへ |
帰港してから再調査をしてみたところ,意外?な事実が判明した。 資料が残っていたのは「国立公文書館アジア歴史資料センター」のアーカイブである。(戦前の外交,軍事関係の公文書を中心に膨大な資料の原本をデジタル化してある。) ※この資料によると昭和9年11月19日に,絵の島の北西500mで衣笠九十式二号偵察機が飛行練習中に墜落事故を起こしたことなどが知れる。 |
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その中の「小那沙美島に関する件」によると, 絵の島(小那沙美島)に残る遺構は大正13年ごろにかけてこの小島を購入した個人によってリゾート施設として建設されたものであった。たしかに砂青松の風光明媚な小島である。海水浴場として開発し,遊園地として経営したいという気持ちはよくわかる。 ところが,このリゾート施設建設が問題となった。 絵の島は呉軍港施設区域内に所在する島であったため「要塞地帯法」及び「軍港要港規則」により現状改変の許可が必要であったにもかかわらず,所有者がその許可を得ずに施設を建設してしまったためである。 当時は広島湾要塞こそ廃止されて管轄が陸軍から海軍へ移り呉軍港の区域となってはいたものの,広島港や江田島湾へ入る艦船の通る航路上に位置する島である。 経営者が法令を知らずに施設を建設したのか,わかっていて建設したのかは不明である。 どちらにしろ,島の土地購入や施設建設などに借金までして多額の費用を払ってしまっていた経営者はあわてて嘆願書を県知事へ提出(要港規則による許可権者は知事)するなどして,なんとか事後承認をとろうとしたようである。 その結果,長年の月日を要した(昭和3年からは暫く放置状態であったようだが)けれども昭和8年に至ってようやく次の条件付で正式に許可が下りた。(原文は縦書き片仮名) 1 将来絶対に要塞地帯法或いは軍港要港規則違反行為を為さざる事出願人は毎年本府の指定する日を以て現地 に出張し海軍の現場調査に応ずること 2 帝国に国籍を有せざる者は呉鎮守府司令長官より許可を得たる者の外小那沙美島所有者経営者又は其の指定 する者を以て該島立入りを絶対に拒絶すること 3 小那沙美島内適当の場所に憲兵又は軍港衛兵立寄所を設け且之を表示し置く事 4 敷地或は施設を他人に譲渡し又は事実上他人に委する場合には事前に呉鎮守府に出願し指示を受くること 5 以上の諸条件の一項たりとも之に違反したるときは出願人所有は勿論他人に譲渡したる後に在りても鎮守府の 指示する所に従い所有者の費用を以て施設全部を撤去すること 6 軍事上必要を生じたる際には無条件にて敷地並に施設を軍用に供すること (引用:呉鎮機密第五一九号 昭和八年九月十六日 呉鎮守府参謀長発 海軍省軍務局長宛 小那沙美島に関する件甲進) |
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一件書類については,国立公文書館アジア歴史資料センターで 「C05023185800」「C05023185900」「C05023186000」 をリファレンス検索されたい。 黒つぶれしていてわかりづらいが,以下の写真は上記の一件書類の添付図面から引用したものである。 煉瓦造の建物は「浴場」,残っていたプールも当時のものであることがわかる。 |
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